第2問配点 3点
安政 5 年(西暦 1858 年),「帝国大日本大君と亜米利加合衆国大統領と親睦の意を堅くし且永続せしめん為に両国の人民貿易を通する事を処置し其交際の厚からん事を欲するか為に懇親及ひ貿易の条約を取結ふ事を決し」とする条約が江戸幕府によって締結された。この条約は勅許を得ることができずに締結されたもので,その第 4 条で協定関税を,第 6 条で領事裁判権を認めたものであった。幕府はついで,オランダ・ロシア・イギリス・フランスとも同様の条約を結んだ。その後,倒幕の結果成立した明治政府にとって,不平等な条約の改正交渉は課題として残されたものとなった。条約改正に関する記述として誤っているものを,次の1から5までの中から選びなさい。(解答欄は,[№2])
1. 条約締結時には,日本人の海外渡航が禁止されていたこと,関税率が高いことなど,不平等条約という認識は小さかったが,改税約書で輸入関税が引き下げられ,明治時代になって日本人の海外渡航が許可されるようになってからは,不平等の認識が広がった。
2. 外務卿を務めた寺島宗則は,関税自主権の回復を優先して交渉を行い,アメリカは条約改正に同意したものの,イギリス・ドイツの反対で交渉は失敗に終わった。
3. 外務卿・外務大臣を務めた井上馨は,法権回復を優先し条約改正交渉を行い,諸外国との間で改正案が確定したが,その内容に日本の各裁判所に外国人法官を任用するなど譲歩的条項があることで政府内外の批判を受け,外務大臣を辞任した。
4. 外務大臣を務めた大隈重信は,駐英公使となった青木周蔵によるイギリスとの交渉もあって,日清戦争後に日英通商航海条約の調印に成功し,欧米各国もイギリスに倣って通商航海条約を締結したことにより,法権の完全回復には成功したが,税権の完全回復には至らなかった。
5. 外務大臣を務めた小村寿太郎は,日英同盟の締結,日露戦争などを経て,アメリカとの新通商航海条約を締結し,税権の完全回復に成功した。アメリカに続いて各国も新通商航海条約を締結し,政府の念願であった条約改正交渉は終結した。