第2問配点 3点
次の1から5までの各記述は、ウクライナ地域に関する説明を年代順に並べたものである。このうち明らかな誤りを含むものを選びなさい。(解答欄は、[№2])
1. 9世紀から 13 世紀にかけてキエフ(キーウ)を中心に成立したキエフ=ルーシという国が存在した。この国の君主は、ビザンツ帝国コンスタンティノープルの正教キリスト教会(後の東方正教会)を受け入れた。
2. やがてキエフ=ルーシは分裂していき、13 世紀になると、モンゴルがキエフ(キーウ)を征服した。モンゴルの後は、ローマ・カトリック教会を受容したリトアニアがキエフ(キーウ)周辺を支配するようになった。
3. およそ 15 世紀末から 18 世紀にかけて、南部ステップ地帯では、主に逃亡農民により構成されたセイムと呼ばれる軍事集団が影響力を持つようになった。彼らは正教徒であり、しばしばローマ・カトリックの支配者と対立した。
4. 18 世紀末に、ウクライナ地域はロシアとオーストリアの間で分割された。第一次世界大戦中にウクライナ民族主義が高まったが、1922 年、旧ロシア領ウクライナはソヴィエト連邦を構成する人民共和国となり、旧オーストリア領ウクライナはポーランド領となった。前者の中心都市がキエフ(キーウ)であり、後者の中心都市がルヴフ(リヴィウ)である。
5. 第一次世界大戦後のソヴィエト連邦では複数回、大飢饉が起こった。特にスターリン時代の1932 年から 1933 年までの間には、ソヴィエト連邦下のウクライナは、穀倉地帯とみなされていたため食糧の強制徴発を受けて、何百万という餓死者を出した。現在のウクライナではこの大飢饉をホロドモール(飢餓ジェノサイド)と呼ぶ。