2006年 司法試験 論文式 公法系科目 第1問
問題
配点 100点[公法系科目]
〔第1問〕(配点:100)
たばこ専売制度が廃止されたのに伴い,1984年に「我が国たばこ産業の健全な発展を図り,もって財政収入の安定的確保及び国民経済の健全な発展に資することを目的」として,たばこ事業法が制定された。その第39条は,製造たばこに「消費者に対し製造たばこの消費と健康との関係に関して注意を促すための大蔵省令で定める文言を,大蔵省令で定めるところにより,表示しなければならない」と規定した。それを受けて,1985年に制定されたたばこ事業法施行規則第36条は,「注意表示」文を「健康のため吸いすぎに注意しましょう」と定めた。1989年の同施行規則の改正により,「注意表示」文は,「あなたの健康を損なうおそれがありますので吸いすぎに注意しましょう」と改められた。
2000年に厚生省(当時)事務次官通知等により開始された国民健康づくり運動としての「健康日本21」は,たばこの危険性に関する十分な知識を得た上で選択することができるよう,情報の提供を強化すること等を求めている。2002年には,学校,劇場,官公庁施設など多数の者が利用する施設の管理者は,その利用者について受動喫煙を防止するために「必要な措置を講ずるように努めなければならない」(第25条)と規定する健康増進法が制定された。
たばこによる健康,社会及び環境に与える影響に対する取組は,1970年以来WHO(世界保健機関)によっても行われてきている。2003年5月,WHO第56回総会は,喫煙による健康被害の防止を目的として,たばこの需要の減少に関する措置等への国際協力を定める「たばこの規制に関する世界保健機関枠組条約」を全会一致で採択した。同条約の締約国は,条約の発効から3年以内に,①たばこ製品の包装及びラベルに,たばこ使用による有害な影響を記述する健康に関する警告を付し,かつ,②その警告文の大きさは主たる表示面の50%以上を占めるべきであり,主たる表示面の30%を下回るものであってはならない等,規制の実施措置を採るよう求められている(同条約第11条)。日本政府は,2004年3月に同条約に署名し,第159回国会における承認を経て,同年6月に受諾書を寄託した。
「たばこの規制に関する世界保健機関枠組条約」の発効は2005年2月27日であるが,内容を先取りして対応した国も多い。我が国も,2003年11月にたばこ事業法施行規則第36条を改正した。それによって,同施行規則別表第一及び第二に掲げる合計8つの,従前よりは具体的な内容の「注意表示」文(注)の中から選んだものを,たばこ製品の容器包装の主要な面の面積の30%以上の大きさで記載することが義務付けられた。
(注) 「注意表示」文の一例:「喫煙は,あなたにとって肺がんの原因の一つとなります。疫学的な推計によると,喫煙者は肺がんにより死亡する危険性が非喫煙者に比べて約2倍から4倍高くなります。」
なお,諸外国の中には,「喫煙は人を殺す」等のより直接的な表現を用いた警告文や肺の病巣等の写真が入った警告文の記載を義務付けている国もある。
その後,200*年に成年者を対象として実施された「喫煙と健康問題に関する実態調査」では,全回答者の84.5%が喫煙と肺がんの関係を認識していたが,心臓病との関係については40.5%,脳卒中との関係については35.1%にとどまっている。さらに,たばこに依存性があることを知っていた人は51.8%である。
そこで,これまでの経緯のほか,この調査結果も踏まえて,同年,製造たばこの容器包装への「注意表示」についての関連規定を廃止し,独立した法律である「製造たばこの警告表示に関する法律」(以下「警告表示法」という。)が制定された(資料1及び2参照)。
警告表示法は公布後直ちに施行されることとされており,同法施行前に製造されたたばこ製品に関する特段の経過措置は設けられていない。
警告表示法施行後1年間で,国内におけるたばこ製品の販売量は,直近3年間の平均に比べて約30%減少した。喫煙者に対するアンケート等によって,販売量減少の主たる原因は,新たに義務付けられた警告文にあることが明らかになっている。
〔設 問〕
1. あなたがたばこ会社であるT社から依頼を受けた訴訟代理人であった場合(T社からの相談内容については,資料3参照),損害を回復するためにどのような訴えを起こしますか。2つの訴えを挙げなさい。そして,訴訟代理人として,警告表示法に対して憲法に基づいてどのような主張を行うか,述べなさい。
2. あなたが国側の代理人として請求の棄却を求める場合,上記の主張に対応して,憲法に基づいてどのような主張を行うか,述べなさい。
3. 設問1及び2で提起された憲法上の争点について,あなた自身はどのように考えますか。あなたと異なる考え方を批判しつつ,あなたの結論とその論拠を述べなさい。
資料1 製造たばこの警告表示に関する法律
(目的)
第1条 この法律は,たばこが健康に及ぼす重大な影響等にかんがみ,たばこを購買しようとする者がたばこの健康に及ぼす危険性に関する十分な知識を得た上で選択することができるようにすることによって,たばこによる疾病及び死亡を低減し,受動喫煙がもたらす害を排除若しくは減少し,未成年者の喫煙を防止し,並びに喫煙によって生じる社会的費用を抑制することを目的とする。
(定義)
第2条 この法律において,次の各号に掲げる用語の意義は,当該各号に定めるところによる。
一 たばこ タバコ属の植物をいう。
二 製造たばこ たばこの葉を原料の全部又は一部とし,喫煙用,かみ用又はかぎ用に供し得る状態に製造されたものをいう。
三 会社 日本たばこ産業株式会社をいう。
四 特定販売業者 自ら輸入をした製造たばこの販売を業として行う者として,たばこ事業法による登録を受けた者をいう。
五 卸売販売業者 製造たばこの卸売販売(消費者に対する販売以外の販売をいう。)を業として行う者として,たばこ事業法による登録を受けた者をいう。
六 小売販売業者 製造たばこの小売販売(消費者に対する販売をいう。)を業として行う者として,たばこ事業法による許可を受けた者をいう。
(警告文表示)
第3条 会社又は特定販売業者は,製造たばこを販売の用に供するために製造し,又は輸入した場合には,当該製造たばこを販売する時までに,当該製造たばこの最小容器包装に,消費者に対し製造たばこの消費と健康との関係に関して警告するため,第4条及び第5条で定めるところにより,一般警告文及び特別警告文を表示しなければならない。
2 卸売販売業者又は小売販売業者は,前項の規定により製造たばこの最小容器包装に表示されている文言を消去し,又は変更してはならない。
3 会社又は特定販売業者は,第1項の規定に違反して製造たばこを販売してはならない。
4 卸売販売業者又は小売販売業者は,第1項の規定に違反して販売された製造たばこを販売し,又は販売の目的で貯蔵してはならない。第2項の規定に違反して同項の文言が消去され,又は変更された製造たばこについても,同様とする。
(一般警告文)
第4条 前条第1項に定める一般警告文は,「喫煙は,あなた自身と周りの人に深刻な害を与える」とする。
2 一般警告文は,製造たばこの最小容器包装の面のうち側面(次条第2項に定める面,上面及び底面以外の面をいう。)に,かつ,相対する両面に,読みやすいよう,印刷し又はラベルを貼る方法により表示されなければならない。
3 一般警告文は,太い黒枠で囲わなければならない。太い黒枠を含めたその記載の大きさは,その表示面の50%の面積を占めなければならない。
(特別警告文)
第5条 第3条第1項の定めにより製造たばこの最小容器包装に表示する特別警告文の文言は,次の(ア)から(オ)までの中から異なる2種のものを選択して表示するものとし,一定期間毎に選択を変えることにより,それぞれの文言を表示した最小容器包装の数が,年間を通じて,おおむね均等になるようにしなければならない。
(ア) 喫煙者は,早死にする。
(イ) 喫煙は,致命的な肺がんを引き起こす。
(ウ) 喫煙は,動脈を詰まらせ,心臓病と脳卒中の原因となる。
(エ) 妊娠時の喫煙は,胎児に害を与える。
(オ) 喫煙は,非常に依存性が高い。吸い始めてはいけない。
2 前項により選択した2種類の特別警告文は,その1を,製造たばこの最小容器包装の面のうち最大面積を有する面に,その2を,これと相対する面に,それぞれ,読みやすいよう,印刷し又はラベルを貼る方法により表示されなければならない。
3 特別警告文は,太い黒枠で囲わなければならない。太い黒枠を含めたその記載の大きさは,その表示面の50%の面積を占めなければならない。
(成分の表示)
第6条 会社又は特定販売業者は,厚生労働大臣の定める方法により測定したたばこ煙中に含まれるタール量及びニコチン量を,製造たばこの最小容器包装の面(上面及び底面を除く。)の上部に,かつ,相対する両面に,読みやすいよう,印刷又はラベルを貼る方法により表示しなければならない。
2 前項に規定する成分量の表示は,太い黒枠で囲わなければならない。太い黒枠を含めたその記載の大きさは,その表示面の15%の面積を占めなければならない。
(報告)
第7条 厚生労働大臣は,会社,特定販売業者,卸売販売業者又は小売販売業者(以下本条及び次条において「会社等」という。)が,前4条の各規定を遵守しているかどうかを確認するため,会社等に対して,必要な報告を求めることができる。
(立入検査等)
第8条 厚生労働大臣は,会社等が第3条から第6条までの各規定を遵守しているかどうかを確認するために必要があると認めるときは,その職員に,会社等の製造所,営業所,事務所その他の事業場に立ち入り,帳簿,書類その他の物件を検査させ,又は関係者に質問させることができる。
2 前項の規定により立入検査をする職員は,その身分を示す証明書を携帯し,関係者に提示しなければならない。
3 第1項の規定による立入検査の権限は,犯罪捜査のために認められたものと解してはならない。
(回収・廃棄命令)
第9条 厚生労働大臣は,卸売販売業者又は小売販売業者が第3条第4項の規定に違反して製造たばこを貯蔵していると認めるときは,会社又は特定販売業者に対し,当該製造たばこの回収又は廃棄を命ずることができる。
(特定販売業者の営業停止)
第10条 厚生労働大臣は,特定販売業者が次の各号のいずれかに該当するときは,期間を定めて,その営業の停止を命ずることができる。
一 第3条第3項の規定に違反したとき
二 第9条による命令に違反したとき
(卸売販売業者及び小売販売業者の営業停止)
第11条 厚生労働大臣は,卸売販売業者又は小売販売業者が,第3条第4項の規定に違反したときは,期間を定めて,その営業の停止を命ずることができる。
(罰則)
第12条 第10条又は第11条の規定による営業の停止命令に違反した者は,100万円以下の罰金に処する。
(罰則)
第13条 次の各号の一に該当する者は,50万円以下の罰金に処する。
一 第7条の規定による報告をせず,又は虚偽の報告をした者
二 第8条の規定による検査を拒み,妨げ,若しくは忌避し,又は同条の規定による質問に関し陳述をせず,若しくは虚偽の陳述をした者
(両罰規定)
第14条 法人の代表者又は法人若しくは人の代理人,使用人その他の従業者が,その法人又は人の業務に関し,前2条の違反行為をしたときは,行為者を罰するほか,その法人又は人に対して,各本条の罰金刑を科する。
附 則
(施行期日)
第1条 この法律は,公布の日から施行する。
(たばこ事業法の一部改正)
第2条 たばこ事業法の一部を次のように改正する。
第39条 削除
資料2 20本入り紙巻きたばこの包装についてのイメージ図

資料3 相談要旨
[この「相談要旨」は,T社の法務部長らから聴取した相談内容を弁護士が書いたメモである。]
相 談 要 旨
相談日:20**年5月20日
相談者:T社(法務部長他2名)
[T社は,アメリカ系のたばこ会社の日本法人で,日本国内において,たばこ事業法による登録を受けて,たばこの輸入・販売をする特定販売業者。]
今回施行された警告表示法によって大きな被害を受けているので,この法律を裁判で問題にしたいと考えている。同じように問題視しているたばこ会社も,確認した限りでは他に5社があり,訴訟になれば参加してくれる可能性がある。
今回の警告表示法は,「喫煙者は,早死にする」,「喫煙は,致命的な肺がんを引き起こす」など,従前の警告文に比べてショッキングな警告文の記載を,決められた大きさで義務付けるというもの。しかも,経過措置がなかったので,大量の包装済みの自社在庫だけではなく,卸売業者や小売業者の営業所,店舗,自動販売機内に残っていた包装済み在庫のすべてを回収して,それらの包装を全部作り変えなければならなくなり,億単位の損害を被った。
商品のイメージも大幅にダウン。警告表示法が施行されてから,それ以前に比べて売上げも35%減少している。深刻な経営問題。リストラによる従業員の人員整理の必要性。このままでは,倒産の危険さえある。
法律が施行されてしまった以上,それには従って営業するしかない。それでもこの法律は明らかに行き過ぎ。訴訟を提起して,全損害を回復したいし,ひいては警告表示法自体の違憲性も問いたい。
事実の問題として,喫煙によって健康被害(肺がん,心臓病,脳卒中,胎児への害など)のリスクは高まるかもしれないが,病気の要因は様々な環境因子によるもの。喫煙が唯一の原因ではない。警告表示法第1条で規定されている,たばこによる疾病・死亡の低減,受動喫煙がもたらす害の排除・減少,未成年者の喫煙防止,そして喫煙の社会的費用の抑制という立法目的には異論はないが,その目的を達成する規制手段の点で憲法上も問題があるのではないか。当社の見解と異なる警告文の掲載を義務付けられることは,耐えられない。社会の健康増進のために必要だというなら,それは国家の政策であり,たばこ事業者だけに犠牲を強いるのは筋が違うのではないか。
資料4 たばこと健康被害等に関するデータ
[以下は,警告表示法の制定に当たって参考にされた資料である。]
(1) たばことがん
発がん物質
たばこの煙には4000種以上の化学物質が含まれ,そのうち発がん性が分かっているものだけでも43種類ある。
が ん
喫煙は単独で,がんの原因の約30%を占める。そして,がんで死亡する危険性が,喫煙者の方が高まる。例えば,肺がんで死亡する危険性は,喫煙者は非喫煙者に比べて約2倍から4倍高まる。
喫煙開始年齢と発がんリスク
たばこを吸い始める年齢が若いほど,発がんのリスクが増加する。例えば,肺がんでは,20歳未満で喫煙を開始した場合の死亡率は,非喫煙者に比べて約5.5倍になる。
(2) 喫煙がもたらす,その他のリスク
心筋梗塞
喫煙者が心筋梗塞で死亡する危険性は,非喫煙者に比べて約1.7倍高くなる。
脳卒中
喫煙者が脳卒中で死亡する危険性は,非喫煙者に比べて約1.7倍高くなる。
肺気腫など呼吸器系への障害
喫煙により,慢性気管支炎,肺気腫などの慢性閉塞性肺疾患の危険が増大し,肺機能検査により閉塞性障害の頻度が高いことが観察されている。
ニコチン依存症
たばこを持続的に使用した後,たばこから完全に,又は相対的に離脱するときに生じる,種々の性質と重症度を持つ一群の症状である。典型的には,たばこ摂取を強く渇望し,使用の制御が困難になり,有害な影響があるにもかかわらず持続して使用してしまう。
その他
喫煙により,胃・十二指腸潰瘍,口腔粘膜の角化及び色素沈着,慢性萎縮性胃炎,肝硬変等の危険が増大する。また,歯槽膿漏や歯周囲炎など歯周病になりやすくなる。この他,脳萎縮,白内障,難聴,味覚・嗅覚の低下,骨粗鬆症,老化の促進などもみられる。さらに,年齢よりも顔のしわが増えたり頬がこけるという特有の顔つき(スモーカーズ・フェイス)になることが知られている。
(3) 胎児・乳幼児・小児への影響
妊婦の喫煙により,流産,早産,死産,低体重児,先天異常,新生児死亡のリスクが高まることが明らかになっている。
家庭内での喫煙によって,肺炎,幼児の喘息性気管支炎,学童の咳・痰などの呼吸器症状が増加する。
(4) 受動喫煙とリスク
受動喫煙(自分の意志とは無関係に吸い込んでしまうこと)によって病気にかかる危険度は,たばこの害を受けない人と比べて,肺がんで約1.19倍,心臓病で約1.25倍に高まる。
(5) 喫煙と社会的費用
たばこの税収は年間約2兆円である。他方で,喫煙によって起こるがんや心臓病の医療費,それらの病気やたばこが原因の火災で失われる労働力等をすべて金額に換算してみると,年間7兆4000億円近くになる。
出典:法務省「2006年司法試験論文式試験問題」。原本PDFから本文・表・図を抽出し、字下げ・下線・枠などの体裁を保ったまま、画面の幅に合わせて折り返しています。