第3問配点 3点
アメリカ合衆国海軍提督ペリーが来航した時代は,世界史的にはイギリス帝国(大英帝国)が全盛期にあった。ペリーはイギリス帝国の石炭補給線をあてにせざるを得ず,帝国の海外領土もしくは影響下にある港湾を経由しながら浦賀に達した(1853 年)。次のアからオまでの各記述は,いずれもペリーの来航経路上の港湾(その後背地を含む。)に関するものであるが,それぞれが示す地名AからEの組合せとして適切なものを,後記1から5までの中から選びなさい。(解答欄は,[№3])
ア. 現地の王位継承をめぐる紛争が続く中で,イギリス東インド会社社員の働き掛けによって,1819年,イギリスがAを領有,オランダ勢力への対抗拠点となる自由港として開発した。多くの移民を引き寄せて,19 世紀後半には経済的にきわめて繁栄した多民族都市に成長した。
イ. Bはオランダ東インド会社にとって,ヨーロッパとアジアを結ぶ交易路上にある極めて重要な拠点であったが,ナポレオン戦争中にイギリスに征服された。しかし,オランダ系住民の影響力は強く,19 世紀を通して,非白人系原住民,オランダ系住民,イギリス人の間で対立が続いた。
ウ. Cはポルトガル支配,オランダ支配を経て,1815 年以降は完全にイギリスの支配下に置かれ,港湾はイギリス帝国通商網のハブとして発展した。第二次世界大戦後にはイギリス連邦に属する自治領となったが,19 世紀の少数派民族と多数派民族に対するイギリスの分割統治が,現在まで続く民族紛争の原因となっている。
エ. Dは 15 世紀にポルトガル領となったが,17 世紀以降,特にイギリス海外植民地とワイン取引のあるイギリス商人が数多く居留した。ナポレオン戦争時にイギリスの占領下にあったこともあり,19 世紀もイギリスの影響力が大きかった。
オ. Eの周辺地域では,19 世紀になると欧米列強の進出が相次いだが,戦争の結果,1842 年にEはイギリスに永久割譲された。当初は寒村であったが,自由港として発展し,イギリス資本の一大拠点となった。ペリーが来航した際には,Eの人口は約 1 万5千人に増加していた。
1. A 香港 B ケープタウン C マデイラD セイロン E シンガポール
2. A ケープタウン B セイロン C マデイラD シンガポール E 香港
3. A シンガポール B セイロン C マデイラD ケープタウン E 香港
4. A シンガポール B ケープタウン C セイロンD マデイラ E 香港
5. A 香港 B セイロン C ケープタウンD マデイラ E シンガポール