司法試験短答式過去問演習

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2018年 司法試験予備試験 一般教養

42問中20問選択(1問3点・60点満点)

第3問配点 3点

以下の文章は,ドイツ語でシュレージエンと呼ばれる地域とその中心都市ブレスラウ(現在はポーランド領ヴロツワフ)についての記述である。以下の文章の空欄(ア)から(カ)に入る語句の組合せとして適切なものを,後記1から5までの中から選びなさい。(解答欄は,[№3])
中央ヨーロッパのシュレージエン地方は,多民族,多文化が混在する地域であった。近世初頭に封建領主であったポーランドのピャスト家が断絶した後,同地方はオーストリアのハプスブルク家に支配されていたが,( ア )の結果,プロイセン領土となった。ハプスブルク家の女帝マリア・テレジアはこれを不服としてシュレージエン地方の奪還を画策したが,( イ )によってプロイセンの同地域領有は確実なものとなった。 19 世紀になると同地域の中心都市であり,( ウ )河畔に位置するブレスラウは,プロイセンの主要産業都市,そしてベルリンに次ぐ文化・学術の中心地に発展した。ブレスラウのユダヤ共同体も発展しており,指導者養成機関も含めて,複数のユダヤ教の教育・福祉施設が設立された。しかし 20 世紀になると,シュレージエン地方でも民族対立が激化した。( エ )年にナチス政権が成立すると,ブレスラウのユダヤ教徒やスラヴ系民族は迫害を受け,その多くが強制収容所に連行された。第二次世界大戦後,( オ )に基づき,ブレスラウも含めたシュレージエンはポーランド領となり,ドイツ人はシュレージエンから追放された。その後には,ソヴィエト連邦とポーランドの国境変更に基づいて,故郷を去ることになったポーランド人が移住した。戦後のヴロツワフの住民は,( カ )からのポーランド移民が多かった。
1. (ア)七年戦争 (イ)オーストリア継承戦争 (ウ)エルベ(エ)1935 (オ)テヘラン会談 (カ)現在のベラルーシのミンスク
2. (ア)オーストリア継承戦争 (イ)七年戦争 (ウ)オーデル(エ)1933 (オ)ポツダム会談 (カ)現在のウクライナのリヴィウ
3. (ア)七年戦争 (イ)オーストリア継承戦争 (ウ)オーデル(エ) 1935 (オ)ポツダム会談 (カ)現在のベラルーシのミンスク
4. (ア)オーストリア継承戦争 (イ)七年戦争 (ウ)エルベ(エ)1933 (オ)テヘラン会談 (カ)現在のウクライナのリヴィウ
5. (ア)オーストリア継承戦争 (イ)七年戦争 (ウ)オーデル(エ)1933 (オ)ポツダム会談 (カ)現在のベラルーシのミンスク